活動報告ブログ

田辺あきひとの活動を日誌形式でお届けします。

2012年5月13日

「よこすかカレーフェスティバル」が開催されました。

昨日・今日の二日間、三笠公園において

「よこすかカレーフェスティバル」が開催されました。

私は、昼過ぎに現場へ行きましたが、大変な賑わいでした。

家族連れやカップルに加え、年代を超えた老若男女が

笑顔でカレーに舌鼓を打つ光景は、ほほえましくもあります。

今日の新聞によれば、昨日は24000人の来場数だとか。

好天に恵まれた今日は、昨年の40000人に対して、

どこまで迫れるのか、楽しみです。

 

今回で6回を数える「カレーフェスティバル」。

横須賀の代表的イベントとして、内外での評価と共に

定着しているわけですが、

よく言われるところの「集客性」が高く、幅広い世代に支持される理由は

「食」にあるのではないでしょうか。

そこに「ストーリー性」を加えるjことが

そのイベントに「独自性」となるのではないでしょうか。

 

地域資源を観光資源に。

まさにその好例だと思います。

盛況カレーフェスティバル

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2012年5月 5日

写真展、風景

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写真展、風景

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写真展・盛況のうち

大型連休といわれ、世間では「ゴールデンウィーク」の真っ最中です。

その連休のスタートとなる29日・30日の両日

横須賀中央駅の「岡田屋モアーズ」の8階で

「手をつなごう・かながわの会」主催による写真展

「女川、子どもたちの眼、子どもたちを見守る眼」が開催され、

私たちの仲間、議員有志がそれぞれ手伝いを行いました。

 

8階のフロアは、レストラン街となっているため

食事時など、多くの通行があり、

そのついでに見に来てくれる方も多かったように思います。

来場者の方としばし、お話をしましたが

被災地である東北地方の出身の方や知人・友人がいるなど

他人事ではないとの思いの方が多く、

口々に「忘れてはいけない」と言われていました。

 

今回、初めての写真展の開催となりましたが

来年そして再来年と、写真展を継続させていかなければ、との思いです。

2012年4月19日

写真展

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2012年4月18日

「被災地支援写真展」の開催

あの3.11「東日本大震災」から、早くも14ヶ月が過ぎようとしています。

一日も早い、復旧・復興の声を聞くものの

具体的な進展は、遅々として進んでいないのが現状です。

震災による「がれき」の処分が望まれる中、

放射線への不安から、受け入れの手を挙げる自治体が

少ない事が理由のひとつです。

国は、しっかりと安全の基準の明確化と説明をするべきではないでしょうか。

復旧・復興に対して、広域な負担が必要です。

そのためには、受け入れる地域の住民の

理解と協力が不可欠です。

 

4月末から、ゴールデンウイークを迎えますが、

4月29日(日)・30日(月)の2日間 午前10時から午後6時

横須賀中央駅の岡田屋モアーズ8階にあるレストラン街で

写真展「女川、子どもたちの眼、子どもたちを見守る眼」を

開催することにしました。

この企画は「手をつなごう・かながわの会」が

昨年7月、宮城県牡鹿郡女川町の子どもたちに、

約50台のデジタルカメラを贈り、

「被災地の子どもたちの目線で、ふるさとの今」を継続的に

記録してもらう事を始たものです。

 

この写真展を通じて、子どもたちの目線を通した

被災地の実情を継続的に記憶して

「あの震災を忘れないこと」「移り変わっていく被災地の姿を感じ続ける

ことができること」「現地の子どもたちに継続的な支援を行うこと」

を目的に開催したいと考えています。

是非、お立ち寄りください。

 

2012年4月15日

梅田駅ガード下の居酒屋にて

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かつての師匠と再会in oosaka

視察の2日目は、舞鶴市へ赴き、「地域と自衛隊の良好な関係」について

視察を行いました。

舞鶴は、旧海軍の鎮守府が置かれたところで

横須賀・呉・佐世保・舞鶴と旧軍港4都市のひとつです。

家族などを含めると、8人に1人が自衛隊関係者といわれ、

それだけでも、深い関係がうかがわれます。

 

視察を終えて、電車に飛び乗り、次の場所へ移動。

翌日は、大阪の池田市なので2泊目は大阪となりました。

夕方、大阪へ到着し、その夜

私は、かつての上司であったGさんとお会いできました。

Gさんは、私たなべが社会人になり、サラリーマン時代の上司です。

もう34年も前になりますが、仕事の楽しさを教えてくれた

言わば師匠のようなものです。

「何事もポジティブに、楽しく仕事をする」という

姿勢はGさんから、学びました。

 

梅田駅のガード下の居酒屋で一杯やりながら

昔話に花が咲きました。

聞けば、当時の私はどうにも使い物にならない社員だったようです。

当時、東京の本社に課長として転勤してきたGさんは

年上の多い係長たちの上司として

かなり、やりづらい立場だったようです。

平社員の中で、一番使えそうもないモノを

「一人前に育てる」

そして、営業部の体質を変えることが自らの役割と

考えたのだそうです。

白羽の矢が当たった私たなべの営業日報を見ると

案の定、毎日のように一行だけ、「ナントか会社へ訪問」のみ。

中身は何もなし。と、こんな感じの社員だったようです。

 

一番最初は、「カタログ請求」の電話の応対をしていた私たなべのやりとりを

聞いて、そのカタログを届けるように言われ、

郵送の準備をしていた私は

「届けろ」という指示に怪訝そうな顔をしたことを

今でもよく覚えています。

面倒くさそうに出向いた所、そこに意外な話があったのでした。

その結果を持ち帰ると、会社を挙げて

新製品に取り組もうという展開となったのでした。

不良社員のホームランでした。

 

そんな経験が、仕事の面白さとして自分の身についたような気がします。

転機になったんですね。

そんな再会が、あらためて私たなべの原点を思い出させてくれました。

Gさん、いつまでもお元気で。

 

2012年4月12日

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